目標はシビックレース

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1990年代のワンメイクレース最高峰はホンダシビックレースでした。ドライバーなら誰でも目指す憧れのカテゴリーで、日産マーチレースでデビューした私もその中の一人でした。いつかはシビックレースに参戦したいという明確な目標を持って、入門用カテゴリーのマーチレースで頑張りました。そしてマーチレース初優勝を機に、1つずつ上のカテゴリーへステップアップしました。マーチレースの次にトヨタスターレットレースと三菱ミラージュカップを経験し、レースデビューから5年後の1997年に念願のホンダシビックレースに参戦する事になりました。

シビックレースは全国のサーキットで開催されており、全国転戦のインターシリーズと各地方戦の東北シリーズ・関東シリーズ・関西シリーズ・西日本シリーズがありました。ワンメイクレース最高峰という事で非常にレベルが高く、参戦しているチームは本格的なプロのレーシングガレージやプロのドライバーが多かったです。車両はN1規定のイコールコンディションではありますが、ボディーやエンジン・足回りなどがチームによってぞれぞれ大きな性能差がありました。つまり車両の選択やチームの選択・メンテナンスガレージの選択が非常に重要となります。この事は他のどのカテゴリーにも共通する最も大切な要素だと思います。

1997年ホンダシビックレース東北シリーズ開幕戦スポーツランドSUGOにやっとの思いで参戦しました。最初は憧れのレースに参戦出来るだけで十分に満足感があり、成績は二の次でレースを楽しんでおりました。開幕戦は最悪のウェットコンディションで完走するだけが精一杯のレースでした。生き残りレースとなった開幕戦の成績は10位くらいだったと思います。それでも充実感と満足感が強く、無事に完走が出来た喜びの方が強かったと記憶しております。優勝したドライバーは同じチームの選手で、後にこの年のシリーズチャンピオンとなりました。優秀なチームメイトに恵まれて、初年度は様々なノウハウを勉強する事が出来ました。

シビックレースは想像以上にハイレベルなレースで、ただ参戦するだけの私のレベルでは全く勝負になりませんでした。初戦から金銭的にも苦しかった状況の中、チームやスポンサーの協力を得て少しずつレベルアップを図りました。そして同年シリーズ中盤の仙台ハイランドレースウェイで、ウェットコンディションの中どうにか予選6位に入る事が出来ました。決勝は残念ながら接触などにより後退してしまいましたが、予選での6位が自分なりの自信となりました。この予選結果をきっかけに、頑張れば何とかなると自分を信じて前向きに5年間シビックレースを続けました。

しかしながら5年間で5位1回の6位1回で、入賞がたったの2回だけだったのです。さすがに自分は才能がないと痛感させられて心が折れてしまい、その後しばらくはレースを休む事になりました。でも大好きなレースを決して諦める事なく、いつかまた復活してやると思いながら必死で借金の返済に専念しました。そして借金完済後2年ぶりに、ナンバー付レースであるトヨタヴィッツレースにて復活を果たしました。この復活のタイミングで、レースにはなるべくお金を掛けずに楽しむ事を優先する考えに切り替えました。そして無理のない範囲で出来るだけ長く続ける事を更なる目標として、途中で数年間休みながらも何とか今日までレースを継続する事が出来ました。