念願のレースデビュー

f:id:care_drive:20210319115532j:plain


1980年代後半からフジテレビ系列でF1の放送が開始されました。日本人初のF1フル参戦ドライバー中嶋悟選手の影響で、日本でのF1人気が急激に高まりました。そして世界的なF1ブームに最も影響を与えたドライバーがアイルトン・セナ選手です。マルボロカラーのマクラーレン・ホンダをドライブするワールドチャンピオンのセナ選手は憧れのスーパースターでした。当時は峠道をただ自己満足で走っておりましたが、セナ選手の影響を受けて四輪レースを目指す事になりました。

1990年に社会人となり本格的にモータースポーツを始めました。最初は走行会でのサーキット走行で模擬レースを経験しました。コースは仙台ハイランドレースウェイとスポーツランドSUGO。安全性の高いサーキットでスピード制限のない全開走行は超快感でした。素人ながらに走行のルールや基本的なライン取りなどを学習し、少しでもサーキットに慣れるよう努力しました。サーキットを走れば走るほどレースへの思いが強くなり、2年間の修業を経ていよいよレースデビューとなりました。

1992年2月に国内B級ライセンスを取得し、翌月の3月に続けて国内A級ライセンスを取得しました。レーシングチームはお世話になっていた地元のチューニングショップでグランドスラムパル。カテゴリーは日産マーチレース東北シリーズ。レース車両はパルレーシングチームで使用していた中古レース車両を安く譲って頂きました。価格は当時で60万円くらいだったと思います。そのままの状態ではレースに参戦出来なかったので、少し手直しをしながら参戦の準備を進めました。時間的に開幕戦には間に合わず、6月の第3戦から参戦する事になりました。

25歳で遂に念願の四輪レースデビュー。日産マーチレース東北シリーズ第3戦、仙台ハイランドレースウェイ。参加台数は35台くらいで、その内の30台が決勝進出でした。デビュー戦なのでまず最初は予選通過が目標。何とか25位くらいで予選を通過し、決勝は20位くらいでフィニッシュだったと思います。2年間の下積み経験を活かして自信満々で挑んだデビュー戦ですが、かなり残念な結果に終わってしまいました。優勝した地元仙台のチームと比べて、ラップタイムが7秒ほど違いました。峠道では速いと思っておりましたが、もっと速い人が大勢いる事にカルチャーショックを受けました。悔しいやら情けないやら残念なデビュー戦でしたが、心折れる事なくその後も前向きにレースを続けました。そしてやっと2年後に悲願の初優勝となりました。

レースの魅力は何と言ってもスピードとスリル・バトルだと思います。一般道とは違ってスピード制限がないサーキットでは、どんなにスピードを出しても問題ありません。逆にアベレージスピードが一番速いドライバーが最優秀となります。一般道では決して味わう事が出来ない異次元の世界です。そのハイスピードに伴って、他車との接触やクラッシュなどの危険性も高くなります。このハラハラ・ドキドキのスリル感がレースの醍醐味だと思います。そしてスリルを味わいながら、ライバルである他車とバトルする事がレースの最も楽しい要素だと思います。基本的にレースに参戦するドライバーは全て車好きです。大好きな車でスピードとスリルを体感しながら、異次元の世界でバトルを楽しむレースはとても魅力的なスポーツだと思います。